西洋占星術師になろう~歴史(1/2)

 西洋占星術を使って占いをやりたい!自分の運命を知りたい、パートナーの人生の傾向を知りたい。いろいろな用途で人は西洋占星術を使うでしょう。

 プロの西洋占星術師になるときのために、知っておきたいちょっとした歴史をひも解いてみましょう。

 とてつもなく長い歴史を持つ西洋占星術。かなり簡略化して説明しても1記事では終わらなさそう。今しばらくおつきあいください。

西洋占星術のおこり

 この記事の目標は「無料でお金をかけずに知識を得て、将来は占い師になること」ですので、占い方の学びからは少し離れますが、予備知識としてさらっと起源を掲載します。

西洋占星術は
古代バビロニアで発祥⇒ギリシャ・ローマで発展⇒アラビアで発展⇒ヨーロッパへ戻り発展
同時並行的にインドでも発展、のちに中国をわたり日本へも伝播

 紀元前6000年ごろ、西洋占星術の発祥はチグリス・ユーフラテス川流域に栄えた古代バビロニア(現代のイラク南部、ティグリス川とユーフラテス川下流の沖積平野一帯)から始まりました―

  天空は人間世界を支配する存在と考えられ、古代バビロニアでは天体観測がさかんに行われていたのだそうです

 この世を強く照らす光と熱のエネルギー、太陽。人工的な光にあふれかえる現代では想像もつかないほどの暗い夜に、ひときわ輝いて「満ち欠け」を見せてくれる魅惑的な…そして月とともに一面に散らばりきらめく大小の惑星恒星の動き―

 なんと、当時は空はある程度は有限で、ドーム状に覆いかぶさっている!と思われていたんですって!!(天球)

 狩猟生活では夜でも方向を理解したり、農耕においては種まきや降雨の時期などを知る必要があって、政治をつかさどる人たちが季節の変化ごとに夏至や冬至、春分や秋分でしるしをつけ、「暦(こよみ)」になっていきました。

 特に河川の洪水に悩まされていたエジプトでは紀元前4000年ごろからすでに太陽暦を使用していたということです。

 
空の様子は人間と密接にかかわりがあるんちゃうか?
宇宙の秘密を紐解けば、人間の秘密もわかるんやろか!

 天と地には相関関係がある、天が平和であれば地も平和であろう。

 つまり、空で起こる何らかのきざしが、私たちの住む地上の出来事の前兆を表す、大空の状態が人間の住む世界に影響を与える!という考え方が生まれてきたのです。

 占星術師である後世の先人たちや現代の私たちの中にも、こうした思いが生きているからこそ、西洋占星術を学ぶ情熱となっているのでしょう。

 紀元前2000年までには惑星の示す番地として牡牛座と獅子座が使われて、紀元前7世紀にはすべての12星座がそろい、さらに紀元前 5世紀から4世紀で現在のものと変わらない星座のマークが決まっています。

 当時の占星術は、今日ではマンデーン占星術(社会占星術)と呼ぶもので、国家や君主の運命を予測しようとするもの。

 紀元前4世紀ごろの粘土板に、ある子どもの出生に関する星座名や惑星が記されていたのが残っていたぐらいで、一部の特権階級のごく一部以外はまだ、一般の庶民が個人で占いをする時代ではないんですね。

 もちろん歴史は諸説あり、現代でも議論されているところ。

体系化される占星術のかたち

 こうして古代バビロニアで始まった占星術は、アレクサンドロス3世(アレクサンダー大王/紀元前356年-紀元前323年)がバビロニアを征服したときにヘレニズム(ウィキペディア)世界にわたり、引き継がれてギリシャ科学や数学とともに、学問のうえで重要科目とされていきます。

 ヘレニズムとは、ギリシャ、そして現在のシリアやエジプトまでを含む地域のこと。広い!

 バビロニアの占星術師たちは祭祀も行い知識階級で、「カルデア人」と呼ばれました。占星術では惑星の並び方をカルディアン・オーダーと呼ぶことからも、その名は今日の占星術の知識の中に密かに息づいていることがわかります。

 一般の人も占星術を扱うようになったのはちょうどこれぐらいの紀元前3世紀ごろ、バビロニアからギリシャに伝わった後のこと。

当時のギリシャは都市国家となり個人主義も発達して、奴隷階級を除けば平等な市民社会になっていました。

 市民はカルデア人から自分のホロスコープ(※別記事で説明します)を作ってもらって運勢を占ってもらうこともできました。

 ヘレニズムで広がった占星術は、大きく栄えて古代ギリシャの文化の影響を色濃く残しながら、形づくられていきます。

 ギリシャ思想は占星術に新しい息吹を吹き込み、新たな科学とも融合しました。金属元素と天体を対応付けたり、宇宙をマクロコスモスとし人間をミクロコスモスと見立てる考え方もこの時代から―

 しかしながらその後、ギリシャ社会は衰退し、ローマ帝国が地中海地方だけでなくエジプトやオリエントまで広がりました。

 なおギリシャ時代で有名なのは天文学者ヒッパルコス(紀元前190年頃 – 紀元前120年頃)で、春分点が毎年少しずつずれていくことを発見し、毎年春分点を牡羊座の0度とするように設定しました(トロピカルサイン方式)。

 

当時きっての学術都市だったアレクサンドリアには占星学をはじめ知的財産の宝庫であったアレクサンドリア図書館がありました。

それがなんと、前48年に、火災によって消失してしまった…!!

よって重要な歴史的巻物を大量に失ったのです…すごい喪失です。今日でも語られる、有名な事件ですね。→ウィキペディア

占星学でも有名な天文学者であるクラウディオス・プトレマイオス(英語形の名前ではトレミー:83年頃 – 168年頃)。占星学の最古の教科書といわれる『テトラビブロス』をギリシャ語で著述しました。

 プトレマイオスが自身の有名な数理天文学の著書『アルマゲスト』の中で、頻繁にヒッパルコスの著書を引用してますが、ヒッパルコスの著書自体は先のアレクサンドリア図書館の火災のため失われ、真実のところはわかりません。

 プトレマイオスの著書ではすでに、バビロニアとエジプト、そしてペルシャの実践方法がむすびついて、現在の私たちになじみのある占星術の考え方-

  • 黄道12星座(サイン)
  • アスペクト
  • アラビックパーツ
  • ハウスの考え方
  • 七天体(惑星)
  • ギリシャ神話

 が、説明されて西洋占星術の原型として体系づけられていました。

※プトレマイオス自身は占星学者ではなく、当時の哲学や技法を記録した単なる編纂者と説明している文献もあります。
用語はまた順を追って記事にします。

古代知識の危機で占星術が逆輸入!?

 ローマ帝国は崩壊し、500年以上占星術は自然科学や占星学は停滞して息をひそめたような状態になりました。

キリスト教の勢力がだんだん強力になっていくなか、西洋占星術が異端だったのです。

 それでも、貿易が盛んだった当時に中東へわたった占星術は生き残り、人々の中で発展していきます。

 キリスト教の影響も受けにくいイスラム圏では、占星術のほかにも、ギリシャ文化の中で栄えた多くの学問の数々も残って継承されました。

 アラビア人の人たちは知識を大切に保存して、また自分たちの占星術と融合させていきました。

 アブー・マーシャル(787‐886)は当時の占星術師の中で最も力のある一人で数多くの著書を残しました。占星術についての『大序論』、そして社会占星術の『宗教と王朝』など。

 彼の占星術師に向けた実践的な教本は、イスラム教徒の知的歴史、そして翻訳を通じて西ヨーロッパとビザンチウムにも大きな影響を与えました

 そして、やっと!!またヨーロッパが『知識』や『学問』に目を向け始めたとき―

 多くの先人たちによってゆっくり練り上げられた占星術は、時を経てまた再びヨーロッパへ!

 10世紀にはイスラム圏で発達した占星術のみならず、ギリシャ哲学や医学、錬金術などとともにヨーロッパへと持ち込まれました。

 プトレマイオスの『テトラビブロス』もラテン語に翻訳されて大いに復興したのです

  • ●『旧約聖書』の外典のひとつである『エチオピア語エノク書』には、地上の娘の美しさに心を奪われた天使が占星術を人間に伝えた!という説があります。

    天使セムヤザ魔法を、天使コカベル星座を、天使アザゼルを、天使サリエル月の軌道を、そして天使バラキヤル占星術を教えたとのこと。

    『エチオピア語エノク書』は魔術書としても有名で、200人の堕天使について書かれています。ロマンチックですね。

    ●また、もうひとつ、中世ヨーロッパでは伝説的錬金術師である『ヘルメス・トリスメギストス』が持っていた石板『エメラルド・タブレット』に記されていた…というものもあります。
    → ヘルメス・トリスメギストス(ウィキペディア)

    いずれも現実離れしている感じがしますが、伝説としてとても興味深いものですね。ヘルメス・トリスメギストスは占星術やタロットなど後世の西洋の占いに影響を与えた大切な人物。名前だけでも覚えておいた方がいいですよ

では、今回は一旦ここまで

また、お会いしましょう

テレサ

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