こんにちは、テレサです💖
時間をかけて『メディスン・カード』を翻訳しながら、いろいろ知らない単語に出会っています。
Medicine Cards: The Discovery of Power Through the Ways of Animals
[blogcard url=https://www.theresaview.com/items/books/3005/]
[blogcard url=https://www.theresaview.com/items/books/3351/]
哲学的なことは宗教にも関わり、国、地方によって違います。
様々な調べものをしていると、不思議な偶然かのように、根底では似ていることが多いものの、それでも知らない単語に出会うと新鮮で、源流を知りたくなり…
こうして翻訳の途中で、いろいろ検索していくことも大きな楽しみとなっております。
今回出会ったのは「Giveaway」という言葉。
[sitecard subtitle=関連記事 url= target=https://www.theresaview.com/fortunetelling/west/oraclecards/4220/]
アメリカ先住民インディアンの人々の独特の精神性を表す言葉のようで、日本語訳にすると、なんと『景品』と出てきます。
giveaway とは
weblio英和辞典 『giveaway』
(秘密・正体などを)うっかりもらしてしまうもの、(販売を促進するための)景品、サービス品、無料サンプル、賞品付きクイズ番組
うっかりもらしてしまうもの、という意味合いは調べていたカードに関わる内容とは程遠く思います。だから残るは景品、無料サンプル、サービス品、という方向になるんですけど…
おそらく、その元になっている「考え方」があるのだと感じます。
こうして調べていくと、giveaway は、一般英語というよりアメリカ先住民インディアンの人々の精神を英語化したものというニュアンスも含むのではないか?
ギブ・アウェイとそのまま訳した方が良いと考えるようになりました。
そういえば、現在は2021年11月も半ば、クリスマスの準備も始まる頃ですよね。
宗教は違っていても、ギブ・アウェイのお話は、ピッタリかもしれません。
そういうわけで、『メディスン・カード』の解説本以外で何か手がかりがないかと、今回もインターネットの世界を旅して、ギブ・アウェイを深堀りしてみようと思います。
いくつかのサイトの言葉を日本語に訳して掲載します。
一部翻訳ですので、ぜひリンク先を訪れてご自身でも読んでみてください。
まずはこちらです。
[blogcard url=https://www.johntwohawks.com/blog/the-giveaway]
Giveaway(ギブ・アウェイ)
ギブ・アウェイという習慣は、我々の文化の中でずっと昔から行われてきた。
多くのアメリカンインディアンの国では…
…この伝統には様々な形がある。 太平洋岸北西部では、「ポトラッチ」と呼ばれる大規模な儀式があって、家族が部族のコミュニティに持っているものをすべて寄付する。
[blogcard url=https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%81]
コミュニティはまた、その家族にお返しをして、家族の必要なものが手に入るようにする。
与えれば受け取ることができる、命の循環とは本来そういうものだ、という教訓である。
私はミシガン州のアニシナベ族でもギブ・アウェイの儀式を体験した。
そのギブ・アウェイでは、毛布を敷いて、その上に人々が持ち寄ったアイテムを並べる。
プレゼントがすべて並べ終わると祈りと言葉を唱え、その後、皆が毛布からアイテムを受け取る時間となる。
ラコタ流に言えば、同じようにギブ・アウェイもあった(今もある)。
ある意味、昔のギブ・アウェイは「ポトラッチ」に似ていて、ギブ・アウェイを催行する人がほぼすべてを提供し、その代わりにコミュニティがお返しをする、ということがよくあった。
また、スー族の長老が毛布を持って行うギブ・アウェイも見たことがあるのだが、これはアニシナベ族のやり方に似ている。
いずれにしても、ギブ・アウェイを行う理由としては、2つの重要なポイントがある。
1つは、誰かや何かに感謝したり、敬意を表したりすること。
もう1つは、持ち物とは人生の目的ではなく、与えることは受け取ることよりもはるかに強力で神聖なものだという、我々の文化に深く根付いているものだ。
我々はそれをよく知っている。
与えることを中心に形成された社会は、地球を破壊せず、他人から盗むこともなく、必要以上に奪うこともなく、「我々」を差し置いて「自分」を選ぶこともない。
世界中の先住民族の文化は、この真実を知り、それによって生きてきた。
我々は、現代の資本主義社会に囲まれてはいても、この真理をもとに生きているのである。
だから、与える。
ギブ・アウェイの心を自分の生活の中で実践する方法を見つけよう。
困っている人を探して、与えるのだ。
持っているものを与え、時間を与え、愛を与えよう。
自分が思う以上に与えれば、スピリットが与えの輪を開き、あなたも与えられることになるだろう。
それが聖なる輪、命の輪のあり方なだから。
つぎはこちらです。このサイトもアメリカ先住民インディアンの人々の精神が生きているように思います。
一部翻訳ですので、ぜひ本家サイトを訪れてご覧になってみてください。
また、この記事中に紹介リンクもあるので、重ねてご紹介します。
[blogcard url=https://bymyart.wordpress.com/2007/12/27/native-american-give-away-tradition/]
ネイティブアメリカンの「ギブアウェイ」の伝統
クリスマスにちなんで、ネイティブ・アメリカンの「ギブ・アウェイ」という習慣についてご紹介しよう。
これはとても美しい習慣である。
例えば、ある特定の人の名誉を祝う舞踏会が開かれた際に、その人(またはその人の家族)がプレゼントする側の人となり、ゲストにプレゼントが渡される。
ほぼ世界では、通常それと反対に、名誉ある者が「ゲストからの贈り物をもらう」人となるものだ。
ネイティブの文化では、「最も価値のあるもの」は、贈るために取っておくことが多く、「物を蓄えたり、とっておくこと」は理解されない。
自分が持っているものを与え、共有することに大きな価値があるのである。
一度何かを与える(ギブ・アウェイする)ということは、その物とのすべてのつながりが切れることを意味する。
何の期待もせずに贈るのだ。
ネイティブの人々は、与えられたものは必ず何らかの形で与えた人に戻ってくると信じている。
また、悪いこと(意図や行動など)をすると、悪いことをした人に返ってくると信じている。
私は、どのような形であれ、自分の時間を人に与えることが最大の贈り物の一つであると考えている。
今はプレゼントのシーズンだが、一年を通して精神的に寛大であることは良いことであり、健康的でもある。
最大の祝福を受けるのは、常に与える側なのだ。
この言葉を見事に表す記事を見つけたのでご紹介したい。
次の記事は以下のサイトでご覧いただける。
[blogcard url=https://www.abovetopsecret.com/forum/thread321768/pg1]
投稿者: Sizzle -on 18-12-2007 @ 05:12 PM
ギブ・アウェイは、中西部やハイプレーンの部族・民族にまで遡ることができる。
フライパンで熱したパンの起源と同じように、具体的な部族の伝統的な起源はわからない。
広い意味でのギブ・アウェイは、多くの文化における贈り物の概念とはほぼ逆である。
だいたいは、誕生日、卒業、退職、政治家の選挙、特別な任命などの特別な機会に、名誉を与えられたり、認められたり、祝われたりする側が贈り物をもらえると期待する。
歴史的に見ても、ネイティブアメリカンの伝統では、多くの国や部族が、名誉を与えられたときに贈り物をしてきた。
見知らぬ人に物をあげるのは、単に友達を作るためではなく、それが名誉あることだからなのだ。
親戚を称えるために物をあげると、その人はコミュニティの目から見ても名誉ある存在となる。
与えるものがないと思われているときに与えるのだ。
今日、ギブ・アウェイの習慣は、多くの部族や国のコミュニティや集会で続けられている。
ネイティブアメリカンが自分たちの伝統を取り戻すにつれ、ますます実践されるようになっている。
ラコタ族とトリンギット族のレイ・バックリーは、
「多くのネイティブアメリカンの文化では、重要なのは誰かが持っているものではなく、その人が他の人に与えることができることです」
「プレゼントの価値ではなく、贈ること自体が文化的に重要なのです」
「金銭的な価値はなくても、精神的、個人的に大きな価値のある贈り物をすることは、与える心の表れです」
と語っている。
ラコタ族の伝統では、神によって創造されたすべての生き物は、しばしば「人 」と呼ばれているという。
ラコタ族には 「ミタクエ オヤシン」という言葉がある。
「ミタクエ オヤシン」とは 「私とつながるすべての存在」という意味で、すべての人間、四つ足の動物、そして飛ぶこと、泳ぐこと、這うことができるものを指す。
「ギブ・アウェイでは、4本足の動物と空を飛べる動物が評議会に集まり、2本足(人間)のニーズについて話し合う。
彼らは人間のニーズに応えようと自分の最も貴重な部分を提供します。
最後には、創造主が人類への最大の贈り物である神の子を捧げることを選ぶのです」
ともバックリーは語った。
持っているものが無い時ほど、与える気持ち。
祝われる人がゲストへ与えるプレゼント。
これらの記事を読んで、O・ヘンリーの『賢者の贈り物』をささやかながら思い浮かべてしまいました。
アメリカ先住民インディアンの人々の世界では、ギブ・アウェイの精神性はいつも心の中にあり、それはいろいろな形で表現されているでしょう。
そして一般化して、毛布を敷いて行う寄付を集める行為や、主催者が自分の持ち物を差し出すイベント、のようになったりもしているようです。
ギブ・アウェイの起源はフライパンで焼いたパンみたいにわからない!?というだけに、それぞれ違って発展しているようでもあります。
日本にいると、実際はどんなものか、想像もつかないなあ…体験してみたい。
でも気持ちのようなものは共感できるのではないでしょうか。
彼らの魂の中には、常に誰かの役に立ちたいという精神性が生き生きとあって…
だからこそ、動物たちが評議会に集まって、いかに人間に役に立つか考えているという考え方にも行きつくのかなあ…こうなると、俗物な私にはなかなか理解しにくいけれど。
メディスン・カードで勉強しよう!
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