こんにちは、テレサです💖
唐突ですが…
ファンタジー系のロールプレイングゲームでもたびたび耳にする、マナという言葉。
マジックポイント(MP)の代わりに使われてたような遠い記憶も。
みなさんは聞いたことありますでしょうか?
今回もまたMedicine Cardsの話になるのですが、現在訳しながら出てきたのは
Medicine Cards: The Discovery of Power Through the Ways of Animals
MANNA(マナ)という言葉。
[sitecard subtitle=関連記事 url= target=https://www.theresaview.com/fortunetelling/west/oraclecards/mc/4520/]
いのちの源、身体に入れると英気に満ちるような、そんなイメージの言葉。
でも実は、私たちは日本語の文化なので、マナはマナでもマナ違い。しかも意味の世界観がちょっと似てる?みたいな…
異なる文化圏で同じ言葉があります。英語で書くとスペルも違うんです。
MANNAとMANA
訳しながら、小さく驚きました。
マナと聞いて私が思い浮かべたのは、MANAの方でした。フォースやパワーに近い使われ方。
マナ(mana)は、太平洋の島嶼で見られる原始的な宗教において、神秘的な力の源とされる概念である。人や物などに付着して特別な力を与えるとされるが、それ自体は実体性を持たない。元々は、メラネシア語で「力」という意味である。
Wikipedia マナ
メラネシアから来た言葉だったんか…!!
だけど、Medicine Cardsに出ているのはMANNAの方。
[blogcard url=https://ejje.weblio.jp/content/manna]
こちらがWikipediaでどう書かれているかというと、マナ(食物)として掲載されています。
マナ(ヘブライ語: מן、מָן、アラビア語: مان)は旧約聖書「出エジプト記」第16章に登場する食物。イスラエルの民がシンの荒野で飢えた時、神がモーゼの祈りに応じて天から降らせたという。この時人々は「これは何だろう」と口にし、このことから「これは何だろう」を意味するヘブライ語のマナと呼ばれるようになる。
Wikipedia マナ(食物)
上記のWikipedia マナ(食物)の終わりのあたりに、参考リンクとしてMANNA – JewishEncyclopedia.comが掲載されています。とても興味深いなと思ったので、皆様にもシェアしてみたいと思います。
…というわけで、今回の記事は聖書のマナのことに着目します。
私たちの文化圏ではあまりナチュラルになじみがあるとは言えない「マナ」についての理解が深まればと思います💖
[blogcard url=https://www.jewishencyclopedia.com/articles/10366-manna]
英語に抵抗が無い方はぜひご自身で見に行ってみてください。聖書のことががっつり整理され、アルファベット順に引けるのでとても便利で参考になるサイトです。
私はブックマークしました!
[blogcard url=https://www.jewishencyclopedia.com/]
なお、文献表記において検索してもわからなかった部分や英語で書いた方が良いと思われる部分はそのままにしています。
ぜひご自身でも訳してみてください。あ~読めば読むほど…マナが美味しそう。特にラビの文献のあたり…
MANNA
M.セリグソーン(編集委員会の執行委員会)による記事
聖書でのデータ
イスラエルの人々が荒野で食べていた、奇跡的に恵まれた食べ物のこと。
その名前は、初めてイスラエル人が見たときに尋ねた言葉(「これは何だろう?」出エジプト記 16章15節, 改訂版聖書.; Rashi 参照)に起源するといわれている。
ジョージ・エバース(「ダーチ・ゴーゼン・ズム・シナイ」 p.236)によると、その名はエジプト人の「メンヌ」 (=「食物」) に由来する。
また、マナは「パン」とも呼ばれ(出エジプト記16章4節)、改訂版聖書の詩篇78篇.24-25では「天のとうもろこし」「力ある者のパン」と呼ばれ、民数記.21章5節では軽蔑的な意味で「軽いパン」と呼ばれている。
夜のうちに、ブデリウム色のコリアンダーの種の形をしたマナが降ってきたため(民数記11章7節)、朝になると地面が霜で覆われているように見えたという。
その粒を挽いたり叩いたりして粉にし、その粉を用意してケーキ状に焼いたら、その味は「蜂蜜で作ったウェハース」や「新鮮な油の味」に似ていた(出エジプト記16章31節、民数記11章8節)。
マナを取るのには奇跡があった。日の出前に取れたが、マナは硬い物質だったにもかかわらず、太陽の光で溶けてしまうことによる。
集められた量は、多くても少なくても、すべての人にちょうど1オメルとなった。
安息日にはマナを見つからなかったが、金曜日の朝には2倍の量になっていた。
マナは取れたその日のうちに食べた。翌朝まで置いておくと腐敗して虫が発生するが、金曜日に採取して安息日のために保存したマナは新鮮なままだった。
イスラエル人が荒野にいた40年間、マナは降り続けていた。
しかし7番目の月の14日にギルガルに到着し、そこで育った穀物を食べるようになると、マナは降らなくなった。
この摂理の記憶を永続させるために、アロンはマナのオメルを器に入れて、主の前に置くようにとモーセから言われた(出エジプト記16章17ー35節、ヨシュア記5章10-12節)。
民数記21章5節では、荒野にいたイスラエル人の唯一の食糧はマナであったとされているが、小麦粉、油、肉などの食糧については他にも言及されている。
これは、40年の間、マナが彼らの主な食糧であったが、唯一の食糧ではなかったということか、あるいは、エジプトから持って行った食糧が尽きた後、マナが彼らの唯一の食糧になったということか、どちらかであろう。
現代の学者の中には、出エジプト記のマナを、シナイ半島のタマリスクの木(エーレンバーグは「Tammarix mannifera」と命名)からの滲み出たものと同定しようとする者がいる。
アラブ人はこれを「mann al-sa-ma」(=「天のマナ」)と呼び、採取して巡礼者に売っている。
また、この地域で見られる他の木の滲出液と同一視されている。
もっと最近の研究では、アラビアや西アジアに生息するコケ類などの植物が聖書のマナであるとする説もある。
しかし、現代の旅行者の報告によると、「マナ」に関しては矛盾している。
ラビの文献では
マナは天地創造の最初の金曜日、薄明かりの中で創造された10種類のものの一つであった(Abot v.9;Targ. pseudo-Jonathan to Ex. xvi. 4, 15)。
ザブディ・b・レヴィによると、荒野でイスラエル人の野営地の近くに落ちたマナは2000キュビト四方を覆っていたが、日の出から4時間後に溶けるまで地面に残っていた。
それは60キュビトの深さに落ち、イシ・ベ・アキバ(Midr.Teh.to Ps.xxiii)によれば50キュビトの深さに落ち、毎日落ちた量は2000年間、人々を養うのに十分であった。
なぜマナが毎日降る必要があったのかという問題について、ラビたちの答えは異なる。
イスラエル人はその重荷を背負わされることがなかった、
毎日温かい食べ物が必要で、マナは降ったときは暖かかった、
彼らは日々のパンのため、心を神に向ける必要があった、などです。
それは東西の王、皆の宮殿から見えることができるほどに目立っていた(Yoma 76a; Tan., Beshallaḥ, 21)。
マナが汚れないように、まずは北風が地面を掃き、次に雨がそれを洗った。
そして、地面が露の層で覆われた後、マナがその上に落ち、マナも露で覆われた(Mek., Beshallaḥ, Wayassa’, 3; comp. Sifre, Num. 89).
そうやって降ったので、正しい者はそれを集めるのに苦労せず、自分の天幕の戸口で見つけることができたが、信仰の薄い者はもっと遠くまで取りに行かなければならず、邪悪な者はそれを集めるために宿営地から遠く離れなければならなかった(Yoma 75a)。
勤勉な者はマナを集めるために野原に出て行き、勤勉でない者は天幕のすぐ外に出て行き、怠け者は寝床に横たわり、マナが彼らの伸ばした手に落ちた。(Beshallah 22)
イスラエルの子孫のためだけに作られたマナは、異教徒にはわずかな量も確保できず、手を伸ばして拾おうとしても、その手から滑り落ちてしまった(Sifre, Deut.313; Midr. Abkir, in Yalḳ.Ex.258)。
また、異教徒にとっては苦い味だったという説もある(Tan., l.c.)
砂漠でマナを集めるイスラエル人(14世紀のサラエボのハガダより)
画像はhttps://jewishencyclopedia.com/ 様よりお借りしています。
マナが溶けて川となり、多くの鹿や他の動物の飲み物となった。後にその動物たちが異教徒に殺されたとき、異教徒は肉にマナの味を認めた(Tan., l.c.; comp. Targ. pseudo-Jonathan to Ex. xvi. 21)。
水自体が彼らにとって苦いものだったので、異教徒はこのようにしてのみマナの本当の味を知ることができたのである(Tan., l.c.)。
マナと一緒に宝石が毎朝落ちてきた(Yoma l.c.)。
マナはそれぞれの人の好みに合わせて、大人には大人の食べ物の味がし、乳飲み子には母親の母乳の味がした。
願えば、家禽でも果物でも、望むものは何でもマナの中に味わうことができた。
従って、民がそれを挽いたり、叩いたり、焼いたりしたという記述(Num.xi.8)は比喩的なものに過ぎない。
人が望めば、挽いたり叩いたり、焼いたり調理したりした小麦粉で作った食べ物のような味がしたからである。
別の解釈によれば、悪人は食用に適したものになるまで、それを挽いて調理することを余儀なくされたが、善人にとっては、天から落ちてくる前に天使によって挽かれたものであった。
特徴
マナは香ばしいにおいを放っており、イスラエル人が荒野をさまよっていた40年間、女性たちに香水として役立っていた。
天の食物であるマナには、栄養分だけが含まれており、老廃物は一切含まれていなかった。
そのため、イスラエル人がマナを食べて暮らしていた間は、身体の最も重要な機能が発揮されなかったのである。
それにもかかわらず、イスラエル人はそのことに不満を抱いていた(民数記11章6節)。
「人間は食べたものを排出してはいけないのか、我々の腸が腫れてしまうにちがいない」(Yoma l.c.、Sifre, Num.87-89、Tan., l.c.)。
マナを集めるには奇跡があり、各家族が集めたオマールの数がその家族の人数に対応していたことがわかった。
これによって、マナは最も困難な問題を解決するのに役立った。
例えば、二人の人間がモーセの前に現れ、一人は自分の奴隷を盗んだと訴え、もう一人はその奴隷を買ったと主張したが、モーセはその判断を翌朝に延ばし、それぞれの家にあるマナのオマール数で誰の奴隷かを確認した。
このようにして、他の方法では解決できない多くの複雑な問題を解決することができた(Yoma 75a)。
マナの壺がアロンによって 主の前に置かれていた期間については、ラビたちの間で意見が分かれた。
次の世代のためだけに置かれていたのか、将来のすべての世代のために置かれていたのか、救世主が来るまで置いておくべきだったのか。
それはエリヤによって回復される三つのもののうちの一つである。
エレミヤは、イスラエルの子供たちが律法を守らないことを諌めたとき、マナの壺を見せて、「律法の研究に没頭する者を神がどのように養われるかを見よ」と言った。
また、モーセの死後、イスラエル人がマナを食べていた期間については、40日間なのか、70日間なのか、あるいはカナンの地を征服して各部族に分割していた14年間なのか、ラビの間で意見が分かれている。
R.ヨシュアによると、モーセの死後すぐにマナは降りてこなくなり、イスラエル人はそれまでに集めたものを食べざるを得なくなった(Mek.l.c.)
マナは善人の将来の食べ物として確保されており、そのために第三の天であるシェハキムにある製粉所で挽かれている(Ḥag.12b; Tan.)
[blogcard url=https://ja.wikipedia.org/wiki/7%E3%81%A4%E3%81%AE%E5%A4%A9%E5%9B%BD]
…以上です!
異教徒には苦いんですね…マナ…💦
一生味わえそうにないわ…
そんなユダヤ教と深くかかわっているMANNAが、メディスン・カードに!?なんか…違和感あるけど…比喩ですね。きっと。
聖書➡タルムード➡…と検索していくと、やっぱり読み物としてすごく面白いんですけど、私の手元にある聖書は分厚くて字が小さくて、つらい!!(老眼)
なるほど、現代語(口語)になったり、漫画になったりするわけだわ…
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